METROFARCE History 其の三 1985-1986

1985年

◆ この辺りから、関西方面で異常な盛り上がりを見せ始める。オノコもオナゴも相乱れて踊る浪花のライブにメンバーも関西ならではの独自のノリをみせる。この頃、神戸女学院の"サイバネスティックス"というサークルの学祭に出演、METROは3年連続で出演することとなる。

 

◆ 3/26、STUDIO-200でのラオブは35mmフィルムでスクリーンにフィリップ・グラスの"コヤニスカッティ"を映しながら演劇的なパフォーマンスを行った。この時のタイトルが"盗賊どもの夜会服"。映像的なMETROに映像をドッキングさせたライブは圧巻。映像はMETOROのビデオで音声を担当していた岩浪美和氏。

 

◆ '85に入り、それまでのオフィス・キッチンからスピノザミュージック(ヒカシュー、パパイヤ・パラノイア在籍)に事務所を移したが、さらに同年夏よりTaTE(テイト)に事務所が変わることになる。「そう、ホールコンサート1本で行きます宣言。そして1本で終わります宣言。(笑)朝日生命ホールでの初のホールライブだね。そのテイトっていう所はリンゼイ・ケンブを呼ぶ為に作ったようなもので、今は毎年リンゼイ・ケンブを呼んでもうかっているようですが、そこは音楽プロダクションではなくて、まあその昔ジェネラルパブリックを呼んでたりもしてたんだけど、ウチのビデオ見て気に入ってくれて、声がかりがあって。それで、まあしばらく籍を置いたのです。」

1986年

◆6/28、中野公会堂におけるライブは、明大の舞台美術研究会の主催。時計台の中のような、歯車の回るオブジェの中で、近未来的なライブを行う。

 

◆8月、大阪近鉄劇場は「刺激的前夜!」というイベントの一環。対バンはなんとプライベーツやページェントというプログレバンド。他の日はブルーハーツやミン&クリナメン、ケラが出演していたが、METROの日の前売りが一番売れていた。この頃エンケンの「これが自由というものか」をSEに使用したりしていた。

 

◆6/28、中野公会堂におけるライブは、明大の舞台美術研究会の主催。時計台の中のような、歯車の回るオブジェの中で、近未来的なライブを行う。

 

◆8月、大阪近鉄劇場は「刺激的前夜!」というイベントの一環。対バンはなんとプライベーツやページェントというプログレバンド。他の日はブルーハーツやミン&クリナメン、ケラが出演していたが、METROの日の前売りが一番売れていた。この頃エンケンの「これが自由というものか」をSEに使用したりしていた。

◆2月の極寒の時、山川直人監督「ビリー・ザ・キッッドの新しい夜明け」の撮影(公開は翌年夏)。初の映画出演となったMETROの焼くどころは"パンク少年少女隊"。着流し姿の与太郎。IVY姿のGUNちゃん、どてら姿のオカマにバカボン、メリーさんは髪を7色に染めわけたギンギンのパンクス、チャバネはサングラスの下に緊張のヒトミをうるませて・・・。セリフもあり、アガッたようだが、皆頑張りました。

pagetop▲