METROFARCE History 其の一 1981-1982

1981年

◆『この頃はバカボン(編注:バカボン鈴木)の知り合いでJAZZのコリアン先生っていうkeyの人がいたりした。少し後になる程その昔ユーロックスっていうバンドをやっていて、今は中森明菜の曲を書いたり、ギターマガジンにギターのことを書いたりもしてる栗原つとむ君とか・・・今ではどうなってしまってるんだろうっていう人がチョコチョコと流動的にいたりもしたな。(与)』

◆当時は与太郎もKORGのラムダというKey弾きながら歌っていた。『その頃、僕が演奏して持っていたキーボードはね、車で走っていた時、代々木の辺りでポロリと落ちてそのまま知らないで走り去ってしまったんで、なくなってしまったんだ。(与)。』

1982年

◆『この頃はACBとかにも出ていましたね。ACBでゴジラのテーマソングとかよく出ばやしに使っていたらいきなり知らない人が「ねえ!いまのゴジラでしょ?」と話しかけてきて・・・。それが宙也だったという・・・。それで一時期宙也なんかとLOFTで一緒のやったりもしていたんだ。』

◆METROはKitchenレコードから20cmEP版をリリースする前の'82年3月自主レーベルのオムニバスLP「無幻夢」に参加している。収録曲は「凍結少年(Frozen Boy)」と「Instnt Enemy」の2曲。しかし、不本意な録音のため音質が非常に悪く、メンバーは全く気に入っていない出来となったものだった。 

◆ 11月、大友克洋・監督/制作の自主映画「じゅうを我等に」の音楽を担当したが、そこで使用された曲は、タイトルバック&エンディングに「SAKAMOGI SONG」(1st.EPテイク)。「凍結少年」(オムニバス別テイク)「SECRET NIGHTS」(2nd.EP別テイク)「BaSILISK」(2nd.EPテイク)「DESERT ROCK」(未発表曲)の5曲。

◆ この頃の鹿鳴館では、現在音楽評論家の立川芳雄氏(当時VOICE)の企画ものライブがあり、METROもそこに参加していたが、10バンド程出演した11月のライブでは、トリのSCREENの演奏中に小屋側がタイムリミットを理由に電源を切り客電をつけてしまったため、乱闘騒ぎになるという事件もあったりした。実はその時ステージ下に駆けつけた血気さかんな人の中にGUNちゃんがいた事は結構知られていたりもする。

 

◆ '82年には立て続けに20cmEPがKitchenからリリースされた。「このシングル2枚はスゴイよ。神田の肉屋さんの倉庫を借りて、そこにDr.セットを置いて、リズムトラックを録った。ホントに穴があいていて上から「どーだあ?」とか言ってね、あの頃のチャバネの顔が思い浮かぶね。」

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