ファントム観劇記

皆様の「ファントム」観劇(感激!)記のコーナーです。
感想文はコチラまでお寄せください。(タイトルを「ファントム観劇記」などとしていただければ幸いです。)
ちょっとキャリエール目線のレビューなど、お待ちしております。

匿名
2008.2.19・22
夢見心地のまま一週間経ってしまいました。
2月19日イベントの日と、22日千秋楽、ヨタロウさんのお芝居する姿を初めて拝見しに行きました。
過美でない舞台装置や、抑えた振付けでファントムを追い詰めるアンサンブルによる歌の場面など、徐々に惹きこまれるうち、キャリエールを演じるヨタロウさんが、圧倒的な存在感を魅せつけてくれました。
ファントムの父という苦悩や愛、葛藤する心の内が、その切ない後ろ姿だけで伝わってくるようでした。
ヨタロウさんは歌だけでない、素晴らしい役者さんなのですね。
過去の作品をひとつも知らないことが悔やまれてなりません。
しかし感動のラストは、やっぱりヨタロウさんの歌のチカラにやられました。
ぞわぞわと鳥肌が立ち、余韻の中思わず目を閉じて、自分の胸をきゅっと抱きしめてしまったのでした。

ヨタロウさんは本当に涙を流しながら、まさに命を削って演じておられたよう。
ミュージカルというものに、ちょっと抵抗感を持っていましたが、演出の所為か、役者さんたちの名演の所為なのか、素直に感動することができました。素晴らしい舞台を観ることができて幸せでした。
さらに今後、音楽はもちろん、ヨタロウさんの様々な方面でのご活躍を期待し、過去を知らない分取り返すべく(?)応援し続けていきたいと、強く思ったのでありました。

イベントでは、HONZIさんへの想いを語られた後の「薔薇より赤い心臓の歌」。
…沁みました。切なくも温かい心持ちで家路につきました。
とびきり素敵なお芝居と歌を、本当にありがとうございました。

ちなみに、カーテンコールでは、ヨタロウさんご登場にひときわ盛大な拍手。
千秋楽終演後に覘いたロビーでは、メトロライヴのチラシが残りわずか3枚ほど。
大勢の観客みなさんの気持ちの表れかと…。


匿名
2008.2.19
遅ればせながら、ファントム観劇記(2月19日・青山劇場)をお送りします。
拙文ご寛恕ください。
* * * * * * *
夢と華やかさできらめく地上のパリと、闇に潜む地下のパリ。
希望に輝くクリスティーンと、仮面で自分を押し隠したファントムとの歌を聴きながら、ふと、『ファントム』と同じくスズカツさんの手になる『LYNX』を思い出す。
オペラ座の地下室は、「ニセモノ」に溢れる世間に背を向けた「オガワ」の部屋に連なるものを感じさせる。
狂っているのはどちらか。ニセモノはどちらか。
その問いは、少数者の側から告発されて、多数派に揺さぶりをかける。
しかし、絶対的な正しさ、絶対的なホンモノなど、存在し得るのか?

ゲラールはファントムを指して、「社会性のかけらもないモンスター」だと言う。
確かに彼は、地下に迷い込んだ者を殺めさえする。
地上の人々はと言えば、「社会的に」「正しい」顔をして、「モンスター」を攻撃にかかる。
ファントムに敵意を向ける群衆の歌う「ファントムフーガ」は、痛ましくて不気味だ。

第二幕、スピードを増す物語の中で、人間の抱え持つ闇がつかみだされてゆく。
弱い父であることの、盲目な母であることの、無垢な子であることの罪。
ただ恐ろしく不器用な愛だけが、薄明かりを投げ与えているけれど、どの愛も不器用すぎて、真摯すぎて、破綻を招いてしまうのが悲しく、切なく、涙が溢れてしまう。
しかし、物語の幕切れに、父の腕の中で息絶えたファントムの仮面を外し、今度こそ彼の素顔(美しい素顔!?)を見据えたクリスティーンの視線は、光の差す天の方向へと導かれていった。
救いは、与えられたのかもしれない。

息子が、母以来初めて心を寄せたクリスティーンを慈しむ、ゲラールのまなざし。
息子を捕らえようと迫る追っ手に、己が心の葛藤のためか、真っ向立ち向かうこともできぬ、ゲラールの震える後ろ姿。
息子を、殺すことでしか守れなかった父。
もろともに命を絶って、自らも解放されることにも失敗した父。
罰せられ続けることだけが、彼に残された道とも思われる。哀しい、罪深い父。
(けれども、それは「本当に」「罪」だろうか?)

『キレイ』の「カミ」や『LYNX』の「アマリ」のような、超越的な役柄とはまるで違って、ヨタロウさんは今回、もしかしたらファントム以上に不幸な、ひとりの「人間」としての父の姿を、魂を揺さぶるような形で描き出していらした。
それはそれは美事な、切実な人間の姿。

劇中に溢れる美しい歌の数々の中で、とりわけ、ゲラールとファントムのデュエット「You Are My Own」は、情愛に満ちて心に沁みた。
出自も経歴も驚くほどバラエティに富んだ演者たちの表現が、ひとつのミュージカルとしてしっかり融けあっていたということが、大沢ファントムとヨタロウゲラールの歌声の哀切な重なり合いの中に、最も濃密に象徴されていたように思う。
物語の点でも、音楽の面でも、実のところいちばんのキーパーソンは伊藤ヨタロウだったのではないだろうか?

19日の終演後ライヴでは、ステージ正面に真っ赤な薔薇を一輪飾って、「薔薇より赤い心臓の歌」を……。
ずるい、とすら思いました。胸を打たれない訳がない。
HONZIさんのよく弾いていらしたフレーズを、工藤美穂さんのヴァイオリンが奏で、アランのアコーディオンの温かい音に乗って、ヨタロウさんの歌が劇場の高い天井までいっぱいに、薔薇の香りのように広がっていました。
確かめてくれ 夢ぢゃない……!

* * * * * * *
取りとめもなく、失礼致しました。
本当に見応えのある、ずっしりくるミュージカルでした。
ヨタロウさん、本当にお疲れ様でした。そして、どうもありがとうございます。。


かんな
2008.2.19 青山劇場 ソワレ
 大阪公演が開幕したある日、私は映画「スウィーニートッド/フリート街の悪魔の理髪師」を観に行った。
そしたら思わずまだ見ぬ「ファントム」の舞台が思い浮かんでしまった。
 やっと、やっと、公演を観たらいくつかの共通点をみつけ、自分の予感めいたものはまんざら間違いでもなかったと一人納得。
 小演劇ファン(それもたいへん偏った)視点から述べさせていただくなら、私は、ミュージカル「ファントム」の中にZAZOUS THEATER(かつて鈴木勝秀氏が主催していらした演劇ユニット)の幻影を観たような気がした。
 色々な分野からのキャストによって上演されたこの作品だけれど、そしてどの役者さんも皆さん素晴らしかったけれど、鈴勝さんが最も出演を願い、演出したかったのは毎回、鈴勝さんのお芝居において、キーパーソンを演じておられるヨタロウさんなのではないかしら、と思った。

 ヨタロウさんは、また、家庭があるのに他に女作ってこども産ませてしまったのね(という役なのね)、
それは『Thirst』を彷彿とさせるものだし、
屈折した親子愛ったら、『シープス』だし、
息子に殺される父が今回は逆に息子を殺してしまう、という違いはあるものの、どちらの苦悩も同じだ。
 他人の作った曲なんて歌えない、と嘆いてらしたからか?
他の皆が歌っているのに、ゲラール・キャリエールは一曲も歌わないまま、長台詞だけで一幕が下りてしまった。
そしたら、ニ幕目、やっとやっと一曲、大沢=ファントム=息子との感動的なデュエット。
圧巻のクライマックス。
客席は涙、涙・・・。
それは『Lynx』のエンディングを思い出した。
悲しみやせつなさや残酷に彩られているのに、繊細で、ひたすら美しい。
それが「死」ですらも。
耽美の極地だと思う。

そしてこの日はスペシャルトーク&ライブデー。

姿月あさとさん、パク・トンハさんに続いて、我らがヨタロウさんの登場。
先の方々は劇中歌を披露したけれど、ヨタロウさん唄うは「薔薇より赤い心臓の歌」!!

せつなく美しい曲。本当に本当に美しい曲。
この日、メトロを、ヨタロウさんを、知らないお客様方の心には、どう響いただろうか?

 とてもとても素晴らしい舞台だった。


ruko
2008.1.27
「ファントム」の大阪千秋楽に行ってきました。
開演前,マントを羽織った人やドレスの女性が行き来していて,さすが大阪,劇場に来る人も衣裳に気合が・・・と思ってたら,ファントム風仮面をかぶった人まで・・・?!実は皆さん,物語の登場人物で,いつの間にか客席は舞台に引きまれていく・・・という仕掛けなのでした。
ファントムというと,「オペラ座の怪人」の超人的な天才のイメージが強かったのですが,この物語のエリックは,現代の引き籠もりにも通じるような脆く儚い青年。地下室に閉じ込められ,そこを訪ねてくるのがヨタロウさんだったりすると,なんとなく「キレイ」を連想したり(笑)
ヨタロウさん演じるキャリエールは,物語の発端にして幕引きという,ある意味,裏の主人公といってもいい役どころ。2幕後半の大沢たかおさん=ファントムとのデュエットが最大の山場なのですが,曲が始まると客席に一斉に啜り泣きが・・・。演技もステキだったけど,やぱり歌ヂカラすごいですね。さすがはわれらが「さまよえる楽隊」の隊長!(*^_^*)
私は通路前の席だったのですが,ことあるごとに登場人物が行き来するので,楽しかった。ふんわり広がったドレスの裾が足に触れたりして,なんだかドキドキ・・・。ヨタロウさんも後方面の客席に出没してらっさった?らすいです。
P.S.物販コーナーのヨタロウさん手書きポップ,いい味出してました(^^)。


みふく
2008.2.11
キャリエールとファントムのデュエットのあと拍手が起きて、すぐにセリフに入るヨタロウさんの「間」が絶妙だった。
長い間ライブで鍛えた間だと思った。


yoko
2008.2.18
こんなにディープな物語だったとは・・<(_ _)>
見守り系の役が多かったヨタロウさんが、能動的に
行動してしまうシーンにドキドキでした
以前、エミ・エレオノーラさんがヨタロウさんにあてて書いて
下さった曲の設定がそういえば・・うーんヨタロウさんって
地下に何か隠してそうな人、なんでしょうか

大沢さんの前回の舞台もたまたま拝見しているのですが、
ただ、大切なものを守ろうとしただけ(手段がすごく間違っていたけど)
というところがちょっと共通してますね。

そして、
待ち続けた珠玉の歌声、一番いいシーンで響き渡るという
展開を神に感謝してしまったことでした(^^)


匿名
2008.1.23
ヨタロウさんのお父さん役素敵ですね。
エリックの髪をなでてあげる所、本当のお父さんみたいです。背中で苦悩している所も、あぁイヤイヤ、もう後半ずーっと見せ場で嬉しいかっこいい!
ヨタロウさんを初めて観た友人が「一番印象に残った役だった」と言っていました。
他には「開始前ウロウロしてる役者さんに話しかけたらどうなるんやろ。この席どこですか?とか」
誰の真似したい?と尋ねたら「大西ユカリとちゃいますよ。 きゃー!いうて走り回りたい」
その場面、ヨタロウさんのお姿もばっちり見つけられました。
隣に座った女の子と話してたら「一回観たんやけど、めちゃ泣いて感動して、もっかい観たいと思って来たんです」とのこと。
ヨタロウさんの歌は心臓に真っ直ぐ突き刺さります。
それにしても、ラストシーンは宗教画のようで美しい。
まだまだ続きますね、お体お大事に頑張って下さい。


M.
2008.1.14
うるうる よかったー 無事初日が開いたー。
40日間お体に気を付けてがんばって走り抜いてください。
しかしうるうる。
もう ヨタロウさんしか見えてません。
あの大きな劇場でヨタロウさんだけが動いている瞬間が幾つあったか…。
この舞台は本当はヨタロウさんの為に開かれたモノにさえ思えてしまう。
目覚ましアラームにして楽しみにしていた You Are My Own を実際に聴けた感慨。
次回は少しは落ち着いて観られるかな。
ため息がそしてにやにやが止まりません。

そして うるうる
チラシがあー。ライブがあー。アルバムがあー。
いっぺんに嬉しいことが押し寄せてパニック状態となりました。


鳥海
2008.2.7
■幽閉された自身の一塊を
 解き放つ手がかりとしての眩しい音楽■
「生まれてきて悪くはなかった。
 だって、音楽を聴くことができたから。」
           (「ファントム」より)

ミュージカルの観劇には居心地の悪さが伴う。
ディシプリンされた発声の成果を誇示するような演出、役者同士の濃密な一体感、ストーリー展開の節々で音楽の力を借りようとする姑息、拝金主義的ともいえる舞台装置の華々しさ。それらに騙されまいと肝に銘じながら、ミュージカル仕立ての舞台や映画を観る経験を重ねるなかで、既存のミュージカルへの忌避感から創り出される「ミュージカルのようなもの」があることを知った。おそらくは、この度の「ファントム」もそれに属する。伊藤ヨタロウが出演するというので、梅田芸術劇場に足繁く通うことになった。その間、故HONZIを輩出した大阪の空もしっとり泣いていた。


舞台はパリのオペラ座。伊藤ヨタロウ扮するキャリエールが、支配人の座を追われるところから舞台が始まる。居場所を失ったキャリエールは、演じることも歌うことも放棄したかのような頽廃的雰囲気を漂わせている。
一方、新たな支配人のお披露目の場面では、支配人夫人・カルロッタが時の文化大臣にエスコートされ、オペラ座の大階段を威風堂々と降り立つ。演じるのは新世界のディーヴァこと大西ユカリと、大阪のジーザスことコング桑田。そうとなれば、オペラ座の階段は新世界を跨ぐフェスティバルゲートの大階段に見紛うに十分であり、2人の背後にはエッフェル塔ならぬ通天閣がそびえ立って見える。
「このオペラ座は誰にも渡さない!」と、女の業を腹の底から歌いあげる大西ユカリがいい。「渡さへん!」という大阪弁であれば愛嬌が増したものを、その強欲が仇となり、ファントムの制御し得ない暴怒がカルロッタへ向けられる。

第二幕で、ファントムの出生にまつわる秘話がキャリエールによって語られると、ストーリー展開が加速度を増し、伊藤ヨタロウの圧倒的な存在感に舞台の重心が傾くことになる。ファントムとキャリエールは、母親にして愛人である亡き女性への恋慕を互いの拠り所にして、縷々と脈打ち続けていた父子間の絆を手繰り寄せていく。
歌う素振りを微塵も見せなかった伊藤ヨタロウが、終盤にとびきり哀しい歌を聴かせてくれた。愛人とのあいだに生まれた非嫡出児を地下室に幽閉し続け、ついにはその子を殺めてしまう、断罪流刑にされてしかるべき男の歌である。落涙を誘うその歌の美しさに騙されてなるものかと堪えつつも、心がさらわれ、この歌こそが舞台の精神的支柱であると感じられるのは何故か。
数多のしがらみのなかで自身の一塊を幽閉しながら暮らしてきたからか。不覚にも襲われる恋慕の情を慌てて振り払ってきたからか。御為倒しを言いながら悪意と善意を履き違えてきたからか。そんな自身の心の懊悩に棲息するファントムがその歌に慰撫されたからか。
終幕近くでキャリエールが自らの頭に拳銃を向けるや否や、警部に制されるシーンが秀逸だった。この身が引き起こした不条理に打ちのめされた者の絶望と、それらのすべてから目を背けようとする卑怯と、天上のあの人には許されているという感覚が如実に表現されていた。

伊藤ヨタロウが蹴散らかしながら表現してきたものを、「ファントム」を借りて束ね直すとすれば、オペラ座の似非の喧騒は「マラスキーノ伯爵の大快楽園」~「アニトラの踊り」の隠微な賑わいには及ばない。地下室に幽閉されたファントムの心の闇は、「穴ぐらの夜、週明けの空」~「凍結少年」で掘り下げられた深度には足りない。ファントム親子の絆のありようは、繰り返される生死の営みを歌った「風のひと」の敬虔さには敵わない。
伊藤ヨタロウが20数年間に渡って音楽で表現してきたことを、その見せる仕方を変えて編集すれば「ファントム」のようにも象られ、これがキャリエールの存在感の所以である。

何よりもの歓びは幕間にあった。退屈しのぎに公演案内のフライヤーの束をめくれば、メトロファルスのライブの案内が挟み込まれていた。伊藤ヨタロウがヴォーカルをとるバンドが6年ぶりに大阪でライブをするという。
6年という時間の長さを想うに、例えば、現世の眩しさに慄き泣いていた赤ん坊が、幼馴染の引越しという理不尽に直面するようになるまでの時間である。あるいは、いまだ恋人と呼べない人の眩しさに戸惑いを覚えた中学生が、恋人の心変わりに絶望を重ねるようになるまでの時間である。数多の理不尽や絶望を食みつつ、こんなにも長く待たされたのに、メトロファルスのライブを聴けることがこんなにも嬉しいとは、ほとんど自虐的な歓びに近い。
「ファントム」大阪公演で伊藤ヨタロウの歌に落涙した3万人の淑女のうち、「あの狂おしい歌声にもっと騙されてみたい」という貴女にメトロファルスのライブを聴いてほしい。
劇場にお供する羽目になった紳士や小僧にも打って付けのライブである。幽閉された自身の一塊を解き放つ手がかりとして、メトロファルスの眩しい音楽がある。たとえそれが騙し騙され合いの音楽体験だとしても、騙され甲斐のあるとびきり上等な音楽を聴くことができる。

(終わり)


shima

2008.1.19
私は関西在住ファンです。
今日のソワレを観ました。
ヨタロウさんが登場した時、久し振りに観るヨタロウさんの姿に吸い込まれそうになりました。
変わらないその声。嬉しかったです。
そして、父親であることをエリックに告白する場面。
愚かな、ずるい、そして苦しんできた父親と
名乗らなくとも父と確信していた息子。
実は私は宝塚歌劇も好きで、宝塚版ファントムを観たとき
キャリエールとエリックのデュエットで大泣きしました。
その印象が強いので今回の「ファントム」には当初関心がなかったのです。
しかし、キャリエールがヨタロウさんと知り、観ることにしたのです。

ヨタロウさんがキャリエールでよかった。
そして大沢さんがエリックでよかった。
綺麗事にしていないのに、美しかった。そして哀しかった。
やっぱり涙が出ました。
私は自分の子供を、大事な光を、きちんと見つめているのだろうか?

素敵な舞台をありがとうございました。
大阪に来てくれてありがとうございました。
まだまだ「ファントム」は続きますが、どうかお体に気をつけて下さい。

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